2006年、ある事件をきっかけに東京から高飛びした一人の日本人ラッパーがいた。漂着先の沖縄で最低限の機材のみを揃え狂った様に日々レコーディングに没頭していたその男こそ、当時悪ガキ真っ只中のSIMON JAP、別名 KAMIKAZである。そんな劣悪な環境の中で作り上げられた楽曲に残されたのは、ヒップホップのドス黒さと「愛」と「魂」がこもった言葉の数々だった。このMIXCDはSIMON JAPが留置場で拘束中に作られたものなど、一般発売はできないであろう曲も含めた2006年沖縄で録音した楽曲のみを収録した奇跡であり、SIMON JAPの軌跡を辿る1枚である。盟友、DJ かしんが2006年の曲達に惚れ込み、再び息を吹き返した名曲達を肌で感じ取って欲しい。
【SIMON JAP(サイモンジャップ) 別名 KAMIKAZ(カミカズ)】
●兄の影響で中学の頃からヒップホップを聴き出し、ギリシャ人である祖父に名付けて貰ったSIMONという名前に、日本人であるという意味も込めJAPを付けてSIMON JAPとして15歳ごろからラップを始める。(※JAPは自身のグループである“JUSTY ACE” PROJECTの頭文字を取ったものでもある) 2000年にROCK-TEEと自身の共同プロデュース曲「ORIGINAL TOKYO」で初のCDへの参加を果たす。自身のラップの師匠でもあるCUEZEROとも様々な楽曲制作を共にし、2002年にはその才能をキングギドラのリーダーであるKダブシャインに認められ、映画『凶器の桜』のサウンドトラックに参加。更に同年、幼児虐待防止をテーマにヒップホップアーティストが多数参加したオムニバスアルバム『CHANGE THE GAME』に参加を果たす。2004年にはDJ OASISの『マイク持つDJ』〜「ここにあるぜ」にも客演を果たし活動の場を広げて行く。
10代の頃はバイトを転々としながら音楽活動を続けるも、20代の頃から非合法に手を染め、2008年に投獄。2011年に出所し活動を再開。同年フジテレビで放送された「神々の勲章」ZEEBRAが選ぶラッパーオーディションで優勝。更に池袋bedで行われた3on3フリースタイルバトルで晋平太、GUINNESS等とチームを組み優勝。2012年も精力的にバトルやライブなどをこなし、静岡で行われたSOUL BLOODS CUP MC BATTLE優勝。渋谷で自身が主催したWARUGAKI☆G.P〜mc battle〜優勝。9.11にフルセルフプロデュースの楽曲をMIXした「2006 AT OKINAWA EVERYDAY REC DJ かしんMIX」をリリース。10.10に自身ソロ初のシングル「RAPSODY」を配信にてリリース。10.20にbayside MAGIC YOKOHAMAで行われた罵倒MCバトル横浜予選優勝。10.26に池袋bedで行われたZEROで優勝。12.8に横浜QUESTで行われた上昇気流で優勝。12.12にセカンドシングル「ISHIKORO」を配信にてリリース。
自身の源点に帰り、新たに生まれ変わったSIMON JAP 別名KAMIKAZは、ヒップホップの持つ本物が内から迸る何があっても最後まで決して諦めない不屈の精神と無限の可能性や、とてつもなく積極的なエネルギーを放射し影響し続ける、これから先の日本のヒップホップシーンを背負って立つ存在として欠かせない一人である。